今回もキャンプ、車中泊とは関係のないレポートを一つ。
熊野古道を歩いてみたい!
そういうリクエストがとある筋から飛んできたので行ってきました。
京都で一泊し和歌山までJR。
そこで駅レンタカー借りて南紀白浜で一泊。
次の日車で熊野本宮大社まで行ってそこから熊野古道を逆に辿るというプランです。
今回のレポートはこのツアーの最終日。
いよいよ熊野古道を歩きます!
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最終日の朝
朝食は程よい量。
ビュッフェ形式だといつも食べすぎてしまうので、自分にはこういうスタイルが良いかも。
一晩お世話になった宿に別れを告げていざ熊野本宮大社へ。
空は雲一つない快晴。
私の日頃の行いが良い証拠ですかね〜♪
熊野本宮大社
熊野本宮大社は熊野三山の中心であり、全国に4700社以上ある熊野神社の総本宮。
いたるところに八咫烏が居ます。
熊野本宮大社とは
『(以下引用:熊野本宮大社HP)
天火明命は、古代、熊野の地を治めた熊野国造家の祖神です。天火明命の息子である高倉下は神武東征に際し、熊野で初代神武天皇に天剣「布都御魂」 を献じてお迎えしました。
時を併せて高御産巣日神は天より八咫烏を遣わし、神武天皇を大和の橿原まで導かれました。
第十代崇神天皇の御代、旧社地大斎原の櫟の巨木に、三体の月が降臨しました。天火明命の孫に当たる熊野連は、これを不思議に思い「天高くにあるはずの月が、どうしてこのような低いところに降りてこられたのですか」と尋ねました。すると真ん中にある月が「我は證誠大権現(家都美御子大神=素戔嗚尊)であり、両側の月は両所権現(熊野夫須美大神・速玉之男大神)である。社殿を創って齋き祀れ」とお答えになりました。
この神勅により、熊野本宮大社の社殿が大斎原に創建されたと云われています。』
見上げるほどの結構急な石階段。
158段あるそうです。
転げ落ちたらただじゃ済まないだろうな…
本宮
拝殿。
ここでご祈祷を受けることができます。
八咫烏ポスト
八咫烏と同じ黒く塗られたポストがありました。
ここから実際に手紙を出すことができます。
その場合には、社務所で「出発の地より心をこめて 熊野本宮」というスタンプを押してもらえるとか。
参拝のしかた
参拝のしかたやその順序が説明してあります。
最近は外国人が多いのだから多国語表記があれば良いのですがね。
神門と社殿
手前の社殿には夫須美大神・速玉大神の両神、中央に主神の家津美御子大神そして奥に天照大神が祀られています。
熊野古道へ
熊野本宮大社から熊野古道へ続く道。
社殿に向かって左側の道をたどるとこの場所に出ます。
奥には鳥居があり、古道を通ってきた人にとっては入口となります。
熊野古道は紀伊半島南部にある熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社、那智山青岸渡寺)を巡る参詣道です。
神道、仏教、修験道の一大聖地として信仰を集めた熊野三山。
この三山へ詣でることで過去・現在・未来の安寧が得られるとして、平安時代の上皇や貴族が熊野御幸を始め、やがて武士や庶民にも広まり「蟻の熊野詣」とたとえられるほど多くの人々が列をなして熊野へ訪れたそう。
この古道の総延長はなんと1,000kmにもなるとか!
熊野古道への入口。
今回私は大社から熊野古道を逆に歩いたのでここが入口になりますが、大社を目指してきた人にはここが古道の終点になります。
私は古道を逆にたどり、疲れたら戻ることにしました。
鬱蒼とした杉山に続く道。
花粉症の人の場合、春は絶対に無理だな…
古道は平らな石畳の部分と土の部分、そして凸凹した石の部分が入り混じっています。
雨が降ると石は濡れて滑りやすく、土はぬかるむ。
古の参詣者はわらじ履きだったので、天気が悪いと大変な思いをしたことが容易に想像できます。
転倒して怪我を負った人も多かっただろうなぁ。
さらにアップダウンがきつくて体力的にもキツイ。
上り坂は足を運びやすく下り坂は注意が必要。
こんな道を延々と歩くのですから、いやー大変です(汗)
中辺路の74番道標。
この道標は約500mおきに設置されており、ここは74番なので熊野本宮大社まであと1km未満である事がわかります。
参詣者はここまで来て元気が湧いたと思います。
外国人の夫婦が歩いてきました。
息を切らしていましたが、楽しそうでしたよ。
ゴール間近
途中で引き返して遠くから歩いてきた参詣者の気分で大社を目指しました。
苦労して歩いてきて、この案内が目に入ったら嬉しいでしょうね。
最後は下り坂です。
ここで気を緩めて転倒などしないように。
大社への入口。
「やったー!着いたぞー!」
で、写真撮影…
まじめに歩いた人はこうやるんでしょうね。
ちょいと休憩
熊野古道を歩いたことだし(笑)大社を出てあの階段を降りたところにあるお土産屋さんでソフトクリームを味わいます。
お味は至って普通でした。
この電話ボックス、傾いてません?
これにはなにか理由があるのか?としばし眺めていましたが、説明板もないのでただ傾いているだけなのでしょう。
大斎原
大斎原とかいて「おゆのはら」と読みます。
いや〜、日本語って難しい…
『神が舞い降りたという大斎原。近年はパワースポットとして多くの人が訪れています。
熊野本宮大社はかつて、熊野川・音無川・岩田川の合流点にある「大斎原(おおゆのはら)と呼ばれる中洲にありました。
当時、約1万1千坪の境内に五棟十二社の社殿、楼門、神楽殿や能舞台など、現在の数倍の規模だったそうです。
江戸時代まで中洲への橋がかけられる事はなく、参拝に訪れた人々は歩いて川を渡り、着物の裾を濡らしてから詣でるのがしきたりでした。
音無川の冷たい水で最後の水垢離を行って身を清め、神域に訪れたのです。
ところが明治22年(1889年)の8月に起こった大水害が本宮大社の社殿を呑み込み、社殿の多くが流出したため、水害を免れた4社を現在の熊野本宮大社がある場所に遷座しました。
かつて多くの人々の祈りを受け止めた大斎原には、流失した中四社・下四社をまつる石造の小祠が建てられています。』
(引用:熊野本宮 熊野本宮観光協会)
パワースポットなら行かない手はありません!
日本一の大鳥居
この大鳥居にも八咫烏が。
残念なことに大鳥居の奥は写真撮影が禁止されています。
奥には広い空間と流された社殿があった場所には石の祠がありました。
日本風景街道 熊野
上のリンクでその写真を見ることができます。
大斎原の河原
大斎原と熊野川の間には高い土手が築いてありますが、この河原へ続く路は土手がありません。
歩いていくと広大な河原が広がっていました。
これは良いキャンプフィールドになるじゃないか!と反射的に感じました。
まとめ
今回の二泊三日のツアーは突如飛び込んできた高野山詣でを含め盛りだくさんでしたが、自分的にはリフレッシュできたいい時間だったと思っています。
また高野山については消化不良感があり、また近い内にじっくり腰を据えて見て回りたいと考えています。
いやー私もおとなになったものだ…
最後まで読んでいただきありがとうございます。
次回予告
次回は「白糸オートキャンプ場」でのキャンプレポートをお届けします。